大判例

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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)70193号 判決 1971年3月26日

原告 渡辺清一

右訴訟代理人弁護士 小滝満治郎

被告 仁田正春

右訴訟代理人弁護士 山田重雄

同 藤田信祐

同 山田克已

主文

原告と被告との間の当庁昭和四四年(手ワ)第一九五六号約束手形金請求事件の手形判決を全部取消す。

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一、当事者双方の求める裁判及び原告の請求原因事実とこれに対する被告の認否は、いずれも主文掲記の手形判決の事実摘示記載が同一であるから、これらをここに引用する。

二、被告の主張

1  (本件手形振出の経緯)

(一)  被告は香川県観音寺町において蒲鉾製造販売業を営んでいるものであるが、昭和四三年四月上旬頃、訴外東洋シュリンプ株式会社専務取締役名村勝との間に同社所有のインドネシア産冷凍有頭エビ約三〇トンにつき同年六月中旬観音寺港において引渡を受ける約で売買契約をし、その代金の概算前渡金として額面二〇〇〇万円、満期昭和四三年六月一六日とする約束手形一通を振出交付し、右手形は他へ譲渡しないことを特約した。

(二)  昭和四三年六月中旬頃、被告は名村からエビの入荷が遅れているから手形を書替えてほしいという要請を受け、右手形を満期昭和四三年八月一六日の約束手形と書替えた。

(三)  名村は被告に対し、昭和四三年五月頃訴外黒田秀一を東洋シュリンプ株式会社(以下東洋シュリンプという。)の資金面の面倒を見ている名古屋の資産家として紹介したが、同年八月頃になって、東洋シュリンプが東京地裁に対し和議申立中のため黒田が大恵商事株式会社を設立して東洋シュリンプと同じ営業を行うこととなったから、被告に対するエビの引渡義務は黒田が承継して名村と共同で引渡すこととすると申入れた。そこで被告はエビの荷渡交渉を黒田及び名村と行い、エビ入荷遅延を理由に同年八月中旬と一一月中旬にも手形を書替えたが、書替手形の名宛人は黒田とした。

(四)  本件手形は昭和四四年二月一四日黒田及び名村の要請により右手形を更に書替えたものである。この書替に際し、黒田及び名村は被告に対し、本件手形の満期までにエビが入荷しないときは取引を解約し本件手形を返却すること、本件手形を他へ譲渡しないことを確約したので、被告は本件手形の裏書欄全部を赤線で抹消して黒田に対し振出し交付した。そしてエビは遂に引渡されなかったから黒田は本件手形を被告に返還すべき義務がある。

2  (抗弁)

(一)  (裏書禁止手形)原告は黒田から本件手形の裏書譲渡を受けたものであるが、本件手形は裏書禁止手形であるから原告の請求は失当である。すなわち、本件手形は前記のとおり振出人たる被告が裏書欄全部を朱線により抹消したもので、裏書人の署名をなす余地のない手形だったのである。このような手形は手形面上に裏書禁止文言がなくても裏面禁止手形と解すべきである。

(二)  (通謀虚偽表示)原告は黒田と馴合の上で本件手形の譲受けを仮装したものであるから原告の請求は失当である。すなわち、黒田は東洋シュリンプの有していたボルネオ方面における魚類の輸入権を取得するため、その許可権限を有する通産省輸入企画課に課長補佐である原告の長男渡辺則雄を再三訪ねて懇意の間柄になった。そこで同人に対し、本件手形取立につき名前を借りることを申し入れて相談の上、同人の父である原告の不動産を売買した形式を装い本件手形をその代金支払のため授受したように仮装したのである。

(三)  (信託法一一条違反)黒田は自己において本件手形金請求の訴を提起すれば、被告から前記のような抗弁を対抗されるであろうことを慮って、自己の知人である渡辺則雄を介して同人の父親である原告に対し右抗弁を遮断して訴を提起せしめるために本件手形を譲渡したものであるから右譲渡は信託法一一条に違反し無効であり、原告は手形上の権利を取得しない。

(四)  (悪意)原告は本件手形につき譲渡禁止の特約があること、本件手形は前記のようにエビが入荷しないときには支払われないこと、そしてその入荷は東洋シュリンプが昭和四四年一月二五日東京地裁において和議開始決定を受けたことにより不能に帰したことを知りながら本件手形を取得した悪意の所持人であるから、被告の黒田に対する返還約束の抗弁をもって対抗され得る。

三、被告の主張に対する認否

被告の主張1記載の本件手形振出の経緯に関する事実は不知、同2記載の事実中、(二)の通謀虚偽表示の点は否認する、本件手形は別紙目録記載の不動産の売買代金として受領したものである。仮に被告主張のとおりであるとしても本件手形の譲渡は隠れたる取立委任として有効である。(三)の訴訟信託の事実は否認する。(四)の悪意の点は争う。

四、証拠≪省略≫

理由

一  請求原因事実については当事者間に争いがない。そこで被告の抗弁について判断する。

二  先ず裏書禁止手形の抗弁について考える。

本件手形が訴外黒田秀一から原告の代理人渡辺則雄に裏書譲渡されたことは後記認定のとおりである。そして本件手形を検すれば、本件手形裏面には第一裏書人欄から第四裏書人欄にかけて縦にボールペンで二本の赤線が引かれ裏書欄が抹消されたようになっていることが明らかであり、右の朱線による抹消が振出人である被告によってなされたことは後記認定のとおりである。被告はこのように裏書欄が全部抹消された手形は裏書禁止手形と解すべきであると主張するのであるが、手形が振出人により裏書性なき手形として振出されたものとするためには手形の記載面上振出人が裏書を禁止して振出したことが明瞭であることを要する(大判昭一〇年一一月二八日新聞三九二二号一六頁参照)ところ、本件手形の裏面になされた朱線による抹消は右の要件を満たすものとは言えないから裏書禁止の効力を生じないものというべきである。したがってこの点に関する被告の抗弁は失当である。

三  次ぎに訴訟信託の抗弁について判断する。

1  ≪証拠省略≫を総合すると、被告は観音寺市においてかまぼこ製造業を営む有限会社仁加屋商店の代表者をしている者であるが、昭和四三年四月上旬頃知人の小浜水澄から手形不渡を出して和議申立中である訴外東洋シュリンプ株式会社の専務取締役名村勝を紹介され、同人との間に有頭冷凍エビ三〇トンの売買契約書を作成し額面二〇〇〇万円、満期昭和四三年六月末頃、受取人白地の約束手形一通を振出したが、右エビは右満期日までに入荷しなかったこと、訴外黒田秀一は名村から右手形の交付を受けてこれを取得したが、右手形の満期に当ってこれをエビの着荷見込に合わせて書替えることを了承し、右手形は同年八月二〇日満期の手形と書替えられたこと、その後も右手形は、黒田において東洋シュリンプがマレーシア方面で補獲したエビを輸入するための会社である大恵商事株式会社を設立しエビを輸入していた関係もあって、二回にわたって書替えられたが、二回目の書替手形は振出日が昭和四三年一一月一五日であるのに対して満期がそれより過去の日である昭和四三年二月一五日と記載されたいわゆる無効手形であったこと、最後に書替えられたのが本件手形であって、本件手形の振出は昭和四四年二月一四日赤坂のホテルニュージャパン客室(ツイン用)において、黒田秀一、名村勝、小浜水澄及び被告の四人が集って行われ、席上被告から一同にエビが入らないから右無効手形の書替に応じないと強硬な発言があったが、結局名村が同ホテル備付の用箋に「今回黒田秀一殿宛に差入れました一金二阡万円也の保証手形は同手形期限内黒田氏了解のもとに返却致します」と記載した念書を作成し、これを被告に交付したのと引替に被告も本件手形を振出したこと、その際被告は本件手形裏面の第一裏書欄から第四裏書欄にかけて、縦に赤のボールペンで二本の線を引き裏書できないようにして本件手形を黒田に交付した、そしてエビは遂に被告に交付されなかったこと、以上の事実を認めることができ(る。)≪証拠判断省略≫

2  また≪証拠省略≫を総合すると以下の事実を認めることができこの認定に反する証拠はない。

(一)  原告は既に八二才の高令であって病弱であるため、原告の財産の管理は原告の長男であって通産省輸入企画課に勤務する訴外渡辺則雄に委ねられていたこと、則雄は原告所有の別紙目録記載の土地(以下本件土地という。)が使用されず遊んでいるためその買手を求めていたところ、前記大恵商事株式会社のエビの輸入に関し同課を訪れた黒田と何回か面談するうち、同人が名古屋市所在の新名古屋ビルの大株主で同市有数の資産家であることを知りその資力に信用を抱くと共に、則雄自身も名古屋出身であることから黒田に対し親しみを覚え本件土地の売買を申込んだところ、手形でよければ買うという返事を得たので昭和四四年四月一九日原告を代理して黒田との間に代金二〇〇〇万円で本件土地の売買契約を締結したこと、その際黒田は被告が朱抹した本件手形の裏面につき改めて各裏書欄毎に黒のボールペンで×印を引いて抹消し自己の消印をした上、符箋を貼布しその符箋上に裏書をして則雄に交付したこと、則雄は黒田の資力を全面的に信頼していたので本件手形につき特に振出人たる被告に直接照会するようなことはせず、原告名義で東海銀行虎の門支店に普通預金口座を開き本件手形の取立を依頼したが、本件手形は昭和四四年五月一七日取引なしの理由で不渡となった。そこで則雄は黒田に対し本件手形の返還を申込み土地代金を現金で支払ってくれるよう申入れたところ、黒田からこの手形が現金化できるものかどうか訴訟に持込んでくれと頼まれた。則雄は現金による支払が一番望ましいと思ったが、本件土地の売買を自分から頼んだ手前強いことも言えず、かつ本件土地中農地については売買の許可に関する現地農地委員会の手続が繁雑であり東京に居住する則雄にとって各土地毎にその手続を行うことが負担であるので本件土地を一括して処分したいと思っていたが、本件土地は実測約四五〇坪で三ヶ所に分れている関係上黒田以外に右希望に適う信用ある買手がない実情であった為、是非同人に買って貰いたいと思っていたので右売買を円滑に進行させるためには黒田の要望を入れて訴訟を提起するのが捷径であると判断し、なお則雄が当時計画していた建築などについて当面必要な資金は黒田において融資する旨の約束を得たので、原告訴訟代理人に依頼して同月二九日本件訴訟に踏みきったこと、そして本件土地売買契約は本件訴訟の帰趨が明らかになった上で代金の授受をなすこととし、履行待ちの状態で放置されていること、

(二)  本件訴訟において原告は被告と黒田とを共同被告として訴を提起し、両者に対し勝訴の手形判決を得たところ、被告所有の観音寺所在の不動産に対して右判決の仮執行宣言に基づき差押をなしたが、他方黒田に対する判決は異議申立がなく確定したけれども何ら執行手続はなされていないこと、そして則雄としては本件訴訟に要した弁護士費用等の諸費用及び契約時以後の土地の値上りは黒田に負担して貫うつもりでいること。

以上であるが、右の事実によれば、本件訴訟に要した諸費用は最終的に黒田が負担する旨の暗黙の了解が同人と則雄との間になされていることが推認される。

3  更に≪証拠省略≫によれば原告提出にかかる甲第一二ないし第一四号証は黒田において自己の取引銀行である東海銀行柳橋支店からしゅう集して来たものであることが認められ、また≪証拠省略≫によれば同人は本訴第一〇回及び第一一回口頭弁論期日に行われた証人等の尋問を傍聴し、証言等について時々メモを原告代理人に渡していたことが認められる。

4  以上の事実を総合して考えると、本件手形は最初売買代金支払のために黒田から原告に裏書譲渡されたものであるが、不渡となった後に黒田と原告の代理人則雄との間に本件手形を一たん黒田に返還し改めて取立委任の趣旨で原告が譲渡を受ける旨の合意がなされたものであり、右取立のため譲渡は前記のようないきさつから黒田が直接自己の名で訴を提起した場合に予想される被告の抗争を避けるため、手形上期限前譲受人の形式資格を有する原告をして本件訴訟を提起させることを主たる目的としてなされたものと認めるのが相当である。そして隠れた取立委任のための手形の譲渡が訴訟行為をなさしめることを主たる目的としてなされた場合には、単に手形外における取立委任の合意がその効力を生じないのにとどまらず、手形上の権利の移転行為自体がその効力を生じないものと解すべきであるから、結局原告は本件手形上の権利を取得するに由なく、被告の訴訟信託の抗弁は理由があるというべきである。

四  以上の次第であって、原告の本件請求は爾余の点につき判断するまでもなく失当であるからこれを棄却することとし、民訴法八九条、四五七条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 清水悠爾)

<以下省略>

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